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『思い出の学年』
加々美勝久(1970年卒、21回生)
今年度平成18年度で中学校に戻ってきて22年目になります。昭和60年4月に着任し、これまでに卒業生を4回出しました。昭和63(1988)年卒業の39回生、平成3(1991)年卒業の42回生、平成6(1994)年卒業の45回生、そして平成15(2003)年卒業の54回生です。私は昭和45(1970)年3月卒業の21回生ですから、引き算をすればそれぞれ歳の差が出ますね。
さて、それぞれの学年ですが、きてすぐに持った学年はやはり印象が強いですね。まず入学式直後での失敗。「先生保健室はどこですか?」私はすかさず「第2校舎への出口のところの部屋だよ。」と。生徒は戻ってきて「場所が違いました。」私「・・・?」。校舎は中学生の頃と変わっていないと思いこんでいたんですが、なんと第2校舎に引っ越していました。生徒は不安に思ったようです。もう1つ。「これは日本語が通じない」と思いました。授業中よく「それはどういう意味です?」と聞かれて、国語辞典を引いては意味を説明しました。前任校では高校3年生を教えていて、いきなり中1を担任したわけですが、12才の子ども達に通じる言葉を持っていなかったんですね。

入学直後に小石川植物園にレクリエーションで行ったもの、(1985年)
42回生は2年生から、45回生は3年生の担任でした。1年生からの担任ではなかったすが、この頃はほとんど毎年志賀高原と修学旅行のどちらかの引率していました。
もっとも新しく担任をした学年が54回生です。この学年は担任として学年主任として3年間持ち上がりました。2000年4月の入学。20世紀最後の入学学年でした。それまでとは違い学年全体を見ながらの担任でしたが、楽しみながらできました。ちょうど次女と年がほとんど変わらないために、感覚的には「親爺」のような感じだったかもしれません。「春風のような」生徒集団になってほしいと思いながら進めました。「爽やかだけどちょっといたずらもする」というような雰囲気です。この学年は、年のせいか行事がある毎に、涙ぐみながら感動していました。
それぞれ思い出のある学年でした。卒業生の活躍は本当に楽しみです。